投稿者:まきのでら
真夜中の呼び声
父の友人であるS氏は昔から霊感が強く、いわゆる『見える人』だった。これからご紹介するのは彼から聞いた話の中でも、とりわけ記憶に残っている体験談である。
S氏は絵を描くのが趣味だった。その夜も遅くまでキャンバスに向かい、無心になって油絵を描いていた。そんな折、不意に家の外から人の声がした。時計を見ると深夜二時である。
(こんな時間に……)
と思っていると、また声がする。今度はハッキリと。どうやら自分の名前を呼んでいるらしい。しかも、その声は友人である私の父の声だったというのだ。
父は自営業で朝はとても早い。こんな時間に自分の家の前にいるはずなどないのである。
しかし紛れもない父の声は、繰り返し自分を呼んでいる。応対しようかと思った時、S氏は奇妙なことに気付いた。「~~」と自分を呼ぶ声が、まるで壊れたテープレコーダーから流れているかのような、抑揚のない、一本調子のものだということに。その時、S氏は悟った。
(ああ、これは『生きていないな』)――と。
すると声には更なる変化が起きた。
「~~~」と繰り返す父の声が、段々と高くなっていったのだ。それはもはや父の声ではなかった。聞いたこともない『女の声』になっていた。耳を塞ぎたくなるその声がようやく止んだ時、S氏は家の外にあった気配が、家の中へと移動していることに気付いた。しかも、自分のすぐ背後に――――。
身震いするような悪寒がして、振り向いたS氏の目に止まったのは、古ぼけた手鏡だった。それは人づてに渡り歩いて、気付けば自分の手元にあったものだという。曇ったその表面にはべったりとした赤黒い血が、浮かび上がっていた……。さすがのS氏も恐怖に慄き、夜が白むのを震えて待ったという。陽が昇ると、S氏は手鏡を持って知り合いの住職さんの元へと急いだ。
手鏡を見せて事情を話すと、住職さんはこちらで供養しますと言って預かってくれた。
後日、調べたところ手鏡の元の持ち主は女性で、不幸な亡くなり方をしていることが分かった。あの夜以降、幸いなことに奇妙な呼び声が聞こえることは二度となかった。
しかし、S氏は未だに家の外から自分を呼ぶ声がすると、この体験を思い出すという。顔も知らない不幸な女の声が、耳の奥にこびりついて離れないのだ。
了
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